サンシャイン60周辺 フォーラムレポート ゲスト: 鴻英良(演劇批評家)

Sunshine 60 area Forum Report Guest: Hidenaga Otori (Theatre critic)

『国民投票プロジェクト』第1回目のフォーラムには、演劇批評家としてPortBの作品をよく知るだけではなく、大学時代に制御工学を専攻し、原子力の夢を近くで感じてきた鴻英良氏をお招きした。『サンシャイン62』から連綿と続く、観客自身による戦後史への審判というPortB作品の演劇の形が、今回のテーマにおいてはどのように作用するのか。原発という人類史上極めて重大な問題が眼前にあるとき、わたしたち一人一人はどのように意思決定をしていけばよいのだろうか。そういった小さな「政治」に対して、ギリシア演劇時代における「プロセス」のあり方に依拠しながら、二人の演劇への考え方が語られた。そして、その議論は『Referendum 国民投票プロジェクト』が向かっていく先を照らし始める。

戦後を見据える議論の場としての
『サンシャイン62』と『国民投票プロジェクト』


高山 僕がなぜ鴻さんを今回お呼びしたかったかというと、2008年夏の「シアターアーツ」誌35号で、PortBの作品『サンシャイン62』について初めて、しかも演劇理論と現実問題とを絡めて批評してくれたのが鴻さんでした。ご存知の方も多いと思いますが、「サンシャイン60」は元々東京裁判で裁かれるA級戦犯が収容される「巣鴨プリズン」でした。「サンシャイン60」の前にある小さな東池袋中央公園には「永久平和のために」と彫られた碑があって、そこがちょうど彼らの処刑場でした。60人もの戦犯が処刑された場所になぜこんなものができたのかを考えていくうちに、この碑がモニュメントなのではなくて、「サンシャイン60」自体が彼らの墓なのではないかと思い始めました。歴史的な場所をショッピングセンターにして何だかわからなくして、モニュメントにしてしまったのではないか。それで、この場所から戦後62年を考えようと思ってつくったのが『サンシャイン62』という作品でした。そこから僕らに必要なもの、未来を構築する上で考えるべきものを探してみたかったんです。今回は『国民投票プロジェクト』という形で原発の問題や僕たちの声をどう抽出するかを模索していきます。戦後の夢としてあったものがこうなってしまった今、改めてここから未来を構想していくために必要な力や方法について議論したいと考えました。戦後を考える上で原発はとても重要ですし、原発を考える上でも戦後という時代については無視できません。そのために「サンシャイン」でお話することが必要だと考えました。議論の場自体がパフォーマンスとなっているモデルとしての『サンシャイン62』について、鴻さんをお呼びした背景にも繋がるので触れておきます。

『国民投票プロジェクト』がどうやって立ちあがってきたのか、一昨日のオープニング集会で高山さんが話されたのを聞かせて頂きました。3月11日に東日本大震災があって、それにより福島の原子力発電所で極めて重大な事故が起きましたが、東北だけでなく東京の人たちにも衝撃を与え続けているこの状況下で、「今起きていること」をどう考えればよいのか、わからないことがたくさんあります。それに関してはいろんな応答の仕方があるけれども、その中で『国民投票プロジェクト』という一つの方法が見出されてきたんだと、僕は理解しました。個人的なことから言うと、3.11が起こった時、僕は外で会議をしていて、家から遠かったので帰れなくなってしまいました。あの揺れ自体も生まれて初めてのことでしたし、ラジオから流れてくる情報から被害の状況を知り、その大きさにぞっとしていたわけです。これはテレビが必要だと思って、テレビを見始めたのが夜の9時頃でした。その段階ですごい事故だということは明らかでした。11時半くらいになったときに、福島の原発が制御不能状態になっているだろうということを思い始めました。一応僕は理工学部卒業で、1年半ほどプラント設計、制御工学をやっていたので、どうなったら制御不能状態に陥るかということが駆け出しの技術者くらいには分かります。これは大変なことになったと思いました。ところが、0時半ごろにはそのニュースが消えるんですね。その時に報道管制が始まった。僕は寝ないで朝の10時くらいまでずっとテレビを見ていました。そして一連の報道に対し、何かがおかしいと思い始めました。何を隠しているのか分からないけれど、メディアにおいて隠蔽が起こっている。何が起こっているのか、どういう形で隠されているのか考えなくてはいけないと。それだけでなく、技術論として的確に状況を捉え批判していくことも必要だと思い、40年ぶりに理工系の本も読み始めました。この事故の責任者は複数いると思いますが、それが誰であるのかよく分からないからこそ、具体的に告発していかなければならないと思いました。先ほどの『サンシャイン62』の流れで言うと、戦争責任の問題は、A級戦犯が巣鴨プリズンに収容されて東京裁判で判決が下ったわけですが、あの問題はそうやってそれなりに責任が追及されたわけです。


演劇と裁判―演劇の形式を使って戦後を審理すること

『サンシャイン62』では5人一組になってサンシャイン周辺をツアーしていくわけですが、僕が一緒だったのは、演劇批評家のハンス・ティース・レーマンさん、ヘレナさんとそれに美術家の方と、もう一人の方と、とにかく濃い集団だった(笑)。それで、当然巣鴨プリズンや戦争責任の話になっていく中で、フランクフルト裁判が話題に上がった。ペーター・ヴァイスが『追究』という戯曲にしていますが、あの裁判ではドイツ人が改めて自分たちで戦争の責任を追究していきました。東京裁判については、戦勝国の敗戦国への裁判だからという批判をする人はまだいるけれども、自分たちで裁判をやってはいないのだ、というようなことを話しながらパフォーマンスに参加していました。それで、「東池袋中央公園」に着いて、先ほど高山さんが話された碑を見ました。そのときに話題になったのがカフカの『流刑地』でした。フランスのある将校が流刑地を訪れると、そこで処刑が為されていて、最後にその将校がそこを立ち去る直前に居酒屋に行った際に、居酒屋のテーブルの下に碑があるのを見つけます。辞めさせられた昔の司令官がつくったものでした。「再び私はここに戻ってくる」とそれには書かれていた。その話を思い出しました。責任をとらないで一度身を隠して、時期が来たら戻ってくる。それと似たようなことを今度の原子力発電所の事故にも感じていて、日本の戦後史を洗い直すような形で今回のことを考えていく必要性を僕は感じています。

高山 震災後に演劇人が集まった飲み会で、鴻さんが理系出身だと言うことを思い出しました。また、その時に鴻さんが「責任者の告発」とおっしゃっていたことが、とても演劇的だと思いました。ミシェル・フーコーは、ギリシア悲劇自体が裁判のイミテーションであると言っています。ヴァルター・ベンヤミンも同じことを指摘していますね。それを一番見事に表したのが、ストローブ=ユイレがあるインタビューの中で「プロセスとは何か」について話した内容です。それは僕から話すのではなくて、今日はちょうど『サンシャイン62』を一緒につくり、演劇批評家、ドイツ文学研究者でもある林立騎さんがいらっしゃっているので、林さんから話してもらえたらと思います。

林立騎 まず歴史的な事実として、西洋演劇と裁判というのは縁が深いということがあります。古代ギリシャで重要だったのは「アゴーン」と呼ばれた協議で、人と人は何かを争うことが前提となっていました。また、あるドイツの研究者が「作品からプロセスへ」という論文を書いており、演劇のあり方の変遷について指摘しています。それは、予めメッセージを持ったものから、そうでないものが少しずつ生まれてきているということです。「映画」というきっちりした時間の尺の中でパッケージ化されているものであってもそれは当てはまります。ドイツ語で裁判は「process」と表されますが、この単語は二つの意味を持っています。ひとつは英語と同様に「物事の過程」と言う意味、そして「裁判」という意味。この言葉の二重性について早くから述べていたのはカール・シュミットとハイナー・ミュラーで、それを参照しつつ、ストローブ=ユイレの映画は二重の意味で「プロセス」の映画だと指摘されています。つまり、観る者を試すプロセスであるということです。映画を観ている瞬間々々が裁判のような厳しい課題を観客に課し、観る側は予めそこに埋められた意味を鑑賞し消費するという見方は許されない。単に観ている時間が過ぎ去っていくという鑑賞の仕方ではなくて、観客がそこから何を読み取ることができるか、どういった判断を下すことができるのかという「裁判」でもあるのです。「判決」という言葉はドイツ語で"Urteil"と言いますが、「ウア」は「最初の」という意味で、「タイル」は「分ける」という意味です。最初の「分かる」を変えなければそれ以上何も分からないという厳しさを指しているんですね。そういった厳しさがストローブ=ユイレの作品にはある。そして僕は、PortBの作品に関しても同じような厳しさを感じています。

高山 突然すみませんでした。ありがとう。『サンシャイン62』の着想はストローブ=ユイレの映画から得ています。真ん中に石のように自然があり、そこに声が乗っかってくる、しかもフレームが異様にしっかりしている。「サンシャイン60」をモチーフにしたいと5年くらい思っていましたが、ずっと方法がわからなかったんです。それで、僕らが逆に裁かれるようなやり方がよいのではないかと思うに至りました。「サンシャイン60」を石のオブジェに見立て、その周りに14ヶ所、フレームとしての窓を探す。そのフレームの中に「サンシャイン60」を捕らえる。その過程で僕たちが収集したいろんな声を聴く。これが僕なりの演劇的な読み換えでした。トークにいらして頂いた建築家の馬場正尊さんは、かつて建築はとにかく巨大なオブジェをつくる方向に考えられていたけれど、例えばオウム真理教にとっての宗教的なモニュメントは単なるプレハブに過ぎないものの、その中で映像や二次元的な偶像をつくっていったという意味で画期的な宗教であった、という話をされていました。他にもツアーの中では戦争で亡くなった画学生の絵を集めている無言館の人たちの言葉が、いろんなフレームから聴こえてきたりする。その中で鴻さんたちのように「責任の所在は誰にあるのか」という「判決」と「プロセス」の全体を演劇として見ていくことを考えていました。それで最後に「裁判」をもってきました。お客さんに舞台に乗ってもらうんです。東池袋中央公園の碑の前で、「あなたは手を合わせますか、合わせませんか。yes/noでお答えください。」5人一組で延々議論した先に、1人で舞台上で答えさせられるわけですから、これは非常に大変なことです。しかし、これこそが演劇的なことだと僕は考えています。

裁判と演劇との関係、そして観客が告発されるということは重要な問題だと思います。ベンヤミンは『ドイツ悲劇の根源』の中で、ギリシア悲劇の位置づけについてこう述べています。
「ゲーニウスが罪の靄のなかからはじめて頭をもたげてきたのは、法においてではなく、ギリシア悲劇においてだった」(*1)
これはかなり重要なことで、人間が思考を対話によって明らかにし、それに対して判断をしようとするゲーニウス(genius)の働きがギリシア悲劇の中にあったということ。ギリシア悲劇が展開する過程の中からノモス(nomos)という「法」がでてくるわけです。「法」が先にあったわけではない。ギリシア悲劇の比較的古いものに「オレステイア三部作」があります。アイスキュロスの書いた悲劇ですが、裁判形式で書かれたギリシア悲劇の方が、実際にアテネで行われた裁判の歴史よりも古い。さらに言うと、シアターを「演劇」と訳すわけですが、これはテアートローン(theatron)の英語読みで、「見る場所」という意味です。「テア」は「観察する、思索する」という意味ですから、ぼーっと見る場所ではなく、思索する、つまり観客が見て考える場所が演劇なのです。舞台上で行われていることよりも、見ながら何かを判断することが強いられているのが演劇だということなんです。観客がいろんな場所に導かれていって、窓をのぞくと「サンシャイン62」が見え、どこからか声が聞こえてくる。そこで考えるという行為がそのように組織されている場所が劇場と言ってもいい。その時はまさに14か所が客席でした。近代的な意味での客席を想像すると、演劇の原点である「観客が思索する」ということが忘却されてしまうことになりかねません。そう考えると、演劇の原点のひとつが、高山さんがツアーパフォーマンスでやられていることなんだなと思ったのです。
(*1)浅井健二郎訳


高山 場所の記憶というのもあって、ラブホテルやジュンク堂書店の上とか、「何でこんなところに」と、観客自身が見られる状態になる場所を選んでいます。手塚治虫さんが住んでいた並木ハウスも借りました。あとは、お墓の中に入って糸を伝っていくと、糸が途中で切れている。はっと上を見ると、サンシャインが見える。そういった感じで、場所をめぐる中で自分の知覚が少しずつ変わっていくようなものを目指していました。僕は物理的な劇場ではなく時間の演劇を目指していて、ますますそういった方向に進みたいと思っています。近代以降の西洋演劇だと、ある役をどう演じるかの演技論が中心になっているけれど、演劇を考える上でそれでよいのだろうかという気持ちがあるんです。ポレシュは西洋近代演劇を踏襲しつつ、役と演技との関係を変えてしまったという意味では見事なんだけども、僕はそうではなくて設定自体を動かしてしまいたいと思っています。観客の方に中心を動かしてしまう。演劇者/受容者/表現者が一体となるようなあり方があるんじゃないでしょうか。それがパフォーマンスをツアー形式にした理由です。


巨大さが持つ神話と社会的責任

高山 東海村の原発の巨大さ、僕がツヴェンテンドルフの廃炉になった原発を見て何に驚いたかというと、その巨大さでした。タービンは想像を絶する大きさでした。全く見たこともないような超巨大なものに、ある種の宗教性を感じました。神様はもういないのですが、その抜け殻を見ているような気持ちになりました。こういうものに自分の夢を賭けてしまうような人がいるのもわかった気がしました。宗教的なモニュメントにあった宗教性が科学技術の方にシフトしていくのを感じたのです。そこで、お聞きしたいのが、なぜ鴻さんが科学者ではない方向を選ばれたのかということです。

僕は大学2年生の5月に東海村で原子炉を実際に見せてもらったのですが、これこそが新しい科学技術の先端であると洗脳されるわけです。巨大タービン建屋があって、そのタービンたるや見上げるような巨大さなんですよね。大学の実験室で見ていたものとはスケールが100倍くらい違う。あんなものを見ると、「こういうところで仕事したいな」と思いますね。この巨大さは重大な問題で、テレビや新聞で出てくる図というのは概念図であって、実際はあんな単純なものではないんです。あの巨大さをコントロールできると考えた場合に、ある種の欲望が満たされますよね。けれども、コントロールできなかった時にどうするかという話が重要なので、今まさにその問題が白日のもとに晒されている。それは、1972年頃から言われていたんです。被爆労働者の問題はその当時から言われていた。それと当時は公害問題もあったので、生産工程がもたらす公害の加害者には入りたくないなと思いました。その当時の科学技術の最先端にいたのは、スプートニクが例証しているように、とりわけ理論的な分野ではソビエトでした。『サイバネティクスと数学』という、ソビエトで出ていた当時世界で最も重要な文献を読むためにロシア語を始めました。科学者を諦めたけれども科学者の社会的な責任については考えていて、文化論の知見の必要性を感じ、人文科学の研究の道を考えたのです。

高山 科学者の社会的責任を人文的見地から問うということはあったのですか。

75年くらいに見えてきた社会運動の終焉、学生運動の陥落にどう対応していくかは、しばらく勉強していく必要があるなと思いました。そして最終的に演劇に辿りつきました。演劇の中でも特にギリシア悲劇の誕生と人間の活動との関係に興味がありました。ポリス的な人間の生き方が登場してくる場所としての演劇についての歴史的または構造的分析が科学者の社会的責任のような問題を含めて考える場所になりうると思い、演劇史に向かっていくわけです。ですから、娯楽としてとか、俳優に夢中になるということではなくて、ほとんどの演劇には興味もないんです。タデウシュ・カントールは「演劇とは現実に対する応答である」と述べています。カントールはポーランドの人なので、アウシュヴィッツでユダヤ人が次々と殺されていくときに、クラクフの地下で、今という現実をどう表していけばよいかと考え作品をつくっているわけです。そのような作品が現実にもたらす意味を考えつつ、演劇批評をやっていこうと思いました。今だと原発事故をめぐる調査をやっていくという行為が、カントールがアウシュヴィッツをめぐるヨーロッパの歴史について調べつつ演劇をつくっていくように、演劇的な活動なのではないかなと思うんです。

高山 僕が一番敬愛する演出家がカントールなんです。大学時代に『死の教室』を観て、これはすごいなと思いました。今回原発事故が起きて、ここまで現実に応答することが難しく、怖いことだと思わなかった。本当に引き受けられるのかという重さを感じているんです。ある種カントールに憧れていたけれども、自分はファンタジーの世界でやっていただけであって、彼がアウシュヴィッツに向き合っていたような真摯さが自分にあるかを知る機会でもあると思っています。演劇の政治性について真剣に考えるための一ヶ月でもあるのです。

政治性について参考になるのは、喜劇作家のアリストパネスですね。ペロポネソス戦争はヨーロッパにおける最初の世界戦争だったわけですが、彼は作品を通して現実に起こっていることを批判的に風刺している。統治者であるクレオンを攻撃もしています。コメディアは起こってしまったことを分析し、それを直視する機能を果たしていると思うのです。一方、悲劇はどうすればよいのかという試みを作品化している。そこにはふたつのアイディアがあるのであって、そういった意味で、悲劇と喜劇という二つの演劇の原型に立ち返るべきだと思います。ペロポネソス戦争にあたるものが、今のわれわれにとっては原発事故です。かなり広い視野で見る必要がありますが、演劇人も文化人としての社会的責任を考えなくてはならない。そういったことを含めて現実を見ていく、アリストパネス的な作品が必要かなと考えています。問題はそれをどのような演劇的な形式において実現するかですが。

高山 僕は、演劇が社会にとってのある種の鏡であるということを考えているんです。「こういう現実があって、舞台上で展開するとこうなりますよ」という回路ではなく、そういった回路を切った上で演劇で何ができるか。それがここ5年の活動であり、プロセス、議論、審理という、過程自体が演劇としての意味を持つものに意義を見出しています。また、僕らの意思決定をどのように形成できるのかを、演劇的に考えたいと思っています。例えば、5人組のツアーには一つの合意形成があったはずなんです。そのことは、メッセージを発するよりも僕にとっては重要なことで、そういった小さな「政治」こそ、いま捉えるべき課題だと思っています。クロージング集会のこともまだ決めていないのですけれども、小さい意思決定を繰り返しながら、足元から決めていきたいと思っています。そこにこそ演劇の可能性が潜んでいて、そのことを『国民投票プロジェクト』を通して考えていきたい。


第二、第三の「プロセス」のフォーラムへ

そういう意味で言うと、キャラバンカーの外で順番を待っている人たちと外のテーブルでそういった話をしたいですよね。そこにこそモデレータがいて、待っている時間に議論する。観終わって出てきた人と話す。5人組って結構良かったんですよ。そこでいろいろ話をするじゃないですか。そういう意味でこのようなフォーラムという形だけでなくて、あそこのテーブルを使ってもフォーラムができるのではないでしょうか。

高山 それはとても重要だと考えていて、だからキャラバンカーの外にテーブルを置いたんです。演劇をつくるよりも「劇場」をつくることの方が大事だと僕は思うので、人がどう集まって、どういう風に議論していくのか考えた時に、僕主導ではない方が良いなと思うんです。例えば鴻さんに来てもらうとか、今日ここにいる人に毎日来てもらうとか。缶コーヒーや食べ物を持ってきてもらったりして、あそこをどう利用してもらうかを、観客のみなさんに考えてもらいたい。

「飲み物をご持参ください」とか書いておくといいんじゃないですか?(笑)

高山 それ、いいですね。そういう形でだんだん変化していって良いと思っています。キャラバンカー停泊地でのフォーラムの方が、僕がつくるフォーラムよりも重要かもしれませんし。そろそろ時間なので終わりにしますが、あえてここでは質問をとりません。それは、第二第三の「フォーラム」で。


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