東京国際フォーラム フォーラムレポート ゲスト: 磯崎新 (建築家)

Tokyo International Forum Forum Report Guest: Arata Isozaki (architect)

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撮影:蓮沼昌宏


列島オペラ―<しま・じま>の黄昏

isozaki_01.jpg 3.11が起こったときは中国にいたという磯崎氏。しばらくして日本に戻ったが「戦力外通達」を受けたような気持ちでいたという。そんな磯崎氏は日本のこれからの動き全てを、大きな意味で一つのオペラを組み立てていくように考えられないかと、リヒャルト・ワーグナーの楽劇『神々の黄昏』を捩って『<しま・じま>の黄昏』と名付けた。今回のフォーラムはそんな磯崎氏による日本の未来に向けての大胆な提案から幕を開けた。

「ヒロシマで、あなたは何もみていない」*1
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画像:「再び廃墟になったヒロシマ」1968年

都市が消滅したヒロシマを見て「未来都市は廃墟である」と考えた磯崎氏は、その後1968年に開催されたミラノトリエンナーレで「エレクトリック・ラビリンス」と名付けられたインスタレーションを行う。ヒロシマの惨状や日本の歴史のイメージを組み合わせた展示の最後には、原爆投下後の広島を元に広島の未来の姿を「再び廃墟になったヒロシマ」として提示した。
広島平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑には、以下のように書かれている。
「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」
これは、被災した日本人が言うべき言葉なのだろうかと磯崎氏は考えてきた。学者たちによって原爆の開発を始めたマンハッタン計画の決定、ヒロシマに原爆を落とすと決めたトルーマンの政治的決定。二つの大きな決定があって、ヒロシマのことがあったのにも関わらず、日本人がこのようなことを言わされてきたという歴史。それを踏まえ、かつてイサム・ノグチにより提案されたが国籍の問題で却下された慰霊碑の提案を、核廃絶運動のモニュメントとして改めて実現させるよう働きかけている。

(*1)マルグリッド・デュラス『ヒロシマ・モナムール』より、1959年


転都国会フクシマ
isozaki_pp_03.jpg 超臨界都市、東京。1960年頃から限界を言われてきたこの首都は、いよいよ改造を迫られている。磯崎氏は、日本では近代において首都は神話的構造線(出雲と鹿島を結ぶライン)を東上し、震災を契機に移動が図られてきたという仮説を持つ。1988年に審査員を務めたあるコンペで提案されたプロジェクトに、国会をメガフロートに乗せて移動式にするという浮上都市「ラピュタ」という提案があった。磯崎氏はこれを今に合わせ再現し提案する。福島第一原発の横に筏に乗った立法府を横付けし、それを中心に郡山周辺に行政府、磐梯山の下に宮内府、猪苗代湖周辺に大使館などを配置し、省の名前も「当たるも八卦当たらぬも八卦」という皮肉を込めて八卦を元に「乾省」「巽省」などと名付ける。並外れた想像力に圧倒されるあまり、会場からは思わず笑いが溢れた。

ARKNOVA
isozaki_pp04.jpg 今年八月にスイスのルツェルンで発表された、被災地を回る移動式コンサートホールの提案。苦難な状況にある人々に救いを差し伸べるノアの箱舟をイメージして設計された。テント素材を空気で膨らませて設営するシェルターで、サイズは長さ72m x 幅40m x 高さ23mで、500〜700人まで収容できるものになるという。「訪れる」というアイデアに込められた意味は、「マレビト」と呼ばれる外からの来訪者が共同体に文化や芸能を持ちこみ交歓をすることによって共同体が活性化するという日本の風習にある。そこから着想を得て、スイスから被災地へやってくるという仕組みをとった提案とした。



戦力外通達を受けて

高山 今日は貴重なお話を伺うことができ、とても刺激になりました。今回磯崎さんにぜひお会いしたかった理由はいくつかありました。僕は演劇の世界でものをつくっているのですが、磯崎さんの著書や「Any コンファレンス」*2の本から個人的に影響を受け、演劇書よりもはるかに多くのことを勉強させて頂いたと思っています。また、震災後に僕はある種パニック状態になり、1ヶ月ほどテレビを見る、ラジオを聞く、インターネットで情報を調べる、それ以外はひたすら寝ることしかしていなかったんです。まるで長い一日を過ごしたような感覚でした。そういうパニック状態になった時に、わたしたちの声やみんなの意思がどういうものなのか、迷子になったように僕にはさっぱり分からなくなってしまいました。一方で、すごく強い独裁的な力を求め、そこに寄り添いたいという気持ちが起こりました。僕は演出家なんですが、演出でマスタープランを作って舞台上にイメージ通りに構築するということをある時期に止めて、違う形のあり方を模索してきました。自分としては磯崎さんの著書『建築の解体』*3から学ばせて頂いた部分も多く、自分がやってきたことがあの本を読んで一度瓦解するような感じがあり、集団で何かを作る、あるいは自分の意思ではなく自動的に何かが生成するような動きを大事にしようと思いました。その癖、震災があり非常事態に陥ると、そういった気持ちが一気に吹き飛んで、誰かに代わってやって欲しいという気持ちになってしまった。そのときにカール・シュミットの「主権者とは、例外状況にかんして決定を下す者をいう」という言葉を思い出して、自分が主権者ではないことをすごく感じました。

その頃ちょうど僕はウィーンに行くことがあり、国民投票で一度も使われないまま廃炉になったツヴェンテンドルフ原発を見に行く機会がありました。そこではものすごく大きな夢が途中で切断され、未来への廃墟としてむき出しになっていました。その強烈なインパクトを前に、国民投票という手法を用いてみんなの意思を決めるのはどうかと考えました。僕は磯崎さんのこれまでの活動を拝見していて、こう言うのはおこがましいのですが、どこかパラレルな部分があるように感じたんです。
(*2)1991年から2000年にかけて世界各地で開かれた建築家と哲学者が議論する国際会議。磯崎氏とピーター・アイゼンマン、イグナシ・デ・ソラ・モラレスという三人の建築家が主導した。
(*3)磯崎新『建築の解体―1968年の建築情況』鹿島出版社、1997年。


磯崎 今おっしゃった気分は、僕が活動しながら感じてきたものと全く同じだと思います。僕はEメールやtwitterはやらないのですが、シュミットからジョルジョ・アガンベンにつながる「例外状態」をどう生き抜いたら良いのか、という問題を今回感じました。でもどこでどうすれば良いかという結論は出ないし、我々はそれをストレートに議論する立場でもない。思いついたことを何かやるしかない。戦力外通達の身ですから、動きは取れない。そこで今日お話したプランを思いついたのです。我々が短いスパンで考えていたさまざまな議論の立て方に限界が見えていたことを我々は知ってはいたけれども、その先に何があるかは誰も言ってくれなかった。かといって、それをどう組み立てていったら良いか見当がつかない状態でいたんです。

isozaki_pp05.jpg イサム・ノグチ氏による原爆慰霊碑の提案。地下部分の一番奥には「祈」の文字だけが掲げられている。

僕が学生の時に建築を始めようとしたのは、ヒロシマの廃墟を見た記憶がきっかけでした。そこにイサム・ノグチさんが慰霊碑という形でつくった自分のアイデンティティの問題は、政治的に抑えられていってしまった。ただ、あれはプロジェクトとして残っています。そういうものはプロジェクトになってさえいれば、すぐには動けないとしてもいつか生きるかもしれない。神戸は何はともあれ色々な支援により5年間で元に戻って都市が復興宣言を行いました。その中で一番の問題は、復興が消していった記憶ではないかと僕は思いました。今の我々が同じように東北の状態を復旧させながら、その時の悲惨な目にあった状態の記憶をどう受け取ってどう反応するか。このことについては、色々な議論があってもなかなか説明ができません。人が死んだことは誰も見たくない、消してほしい。神戸の時もみんなそうだった。これをどう始末をしたら良いのかというのが一番の問題です。始末が上手くいって記憶を隠していったときは、中途半端なものしか残らないんです。それがここ10年15年くらい続いてしまい、今もう一度みんなで考えなければいけない時に来ています。震災のショックで動けない、思考を停止しないといけないという状況にみんななっていると思う。それでも半年経って、どう持っていったら良いかというのが今の問題です。せいぜい僕が思いついたのは、どうせ首都移転というのは10年後に出てくる話なので、今すぐには誰も言わないし結論も出す必要はない。一方で、すぐに何かをやるとすれば、ARKNOVAのような移動式の、昔ながらの芸能を持ったマレビトが一つの閉ざされたコミュニティを訪れるという日本の民話にも関わるようなものではないかと思いました。これまでは理由がないと大義か正義か分からないように思われてしまうけれど、そのどちらでもないカテゴリーでこれからは考えていかないといけないのではないかという気がしています。


計画からプロジェクトへ

高山 僕らが今回試みたのは、中古の保冷車の荷台部分をトラックに乗せて移動するというプランなのですが、それが建築家という仕事になると、あるプランを作ったときに、それが持つ影響力がとてつもなくあると思っています。都市計画や国家計画といったものにも、民意やわたしたちの意志が反映された多数決の国民投票のような形よりは、一人の独裁者が出てきて未来のビジョンを思い描いてしまった方が良い場合も十分あり得るのではないかと考えてしまうのですが。

磯崎 今のはすごく重要なポイントだと思うのですが、僕なりに昔を思い出して整理すると、僕は建築を勉強して建築家として仕事を始めました。建築というのは、これまでの古い町を作り変える手段としてまずありました。そのためには都市を具現化して、地震や空襲が来ても爆弾が落ちても大丈夫なものを作れ、ということが国家の要請の下に行われてきました。そういう教育を僕らが受けてきたのが1960年くらいのことです。そう考えると、建築は都市を作ることであり、国家と付き合うことでした。一直線に全てが連続していました。例えば当時、東京オリンピックや大阪万博などは日本国家の祝典だった訳です。今は中国がやっていますが、要するに近代国家が完成したことを世界に見せるためのイベントです。僕は自動的にそれら二つに巻き込まれた経験があります。それを建築家として考えたときに、『建築の解体』にも書いたのですが、建築という概念が即ち国家を作ることであり、統制を考えていくということだったのではなかろうかという反省をしました。それで国家そして都市を建築から外して、建築の側からそれらを批判するような視点でプロジェクトを作るしかやり方がないだろうというのが、僕が70年代以降考えてきたことです。その考え方は90年代くらいまでは有効でした。

ところが95年の震災の頃から、インターネットを含めた新しいメディアや情報のシステムが社会を全て組み替えてしまったところがあります。そうすると、国家、都市、建築というものをきちんと整理してそれぞれ批判するといった議論そのものも使えなくなってきました。別の言い方をすると、国家というものは「計画」をするところです。「計画」という概念が近代を進めてきたとも言えます。家族や社会など何でもかんでも計画できると思い込んで、20世紀は走ってきたのです。そんな中、僕らは計画を否定する「反計画」ということを70年頃から言い始めた。しかし計画も反計画も、建築も反建築もまとめて、90年の半ば頃から両方無効になってしまった。社会の異相がずれたような状態になったと僕は思います。未だにみんな簡単に計画という言葉を使いますが、「計画」というのは僕は歴史的に70年くらいで終わった概念だと考えています。それに対し、「プロジェクト」という概念があります。今高山さんがキャラバンカーでやられていることも、僕が今日話したことも、計画ではなくて、プロジェクトです。プロジェクトという概念は、ある意味で言えば例外状態をコンスタントに作り出すことです。例えば都市計画などは、国が決める法の枠の中でしか実現することができません。みんなフラストレーションをためていますが、変える力もないし理論もない。そこを突き抜けるのがプロジェクトなんです。例外状態からものを考えていく、この動きなんじゃないでしょうか。それにより法つまり社会システムを新たに組み替えることが必要だと感じます。

今回高山さんが国民投票とおっしゃっているのがとても面白いなと思っています。今アメリカで1%の富裕層に対する99%の座り込みが起こっています。実はこの夏に僕らはエジプトでプロジェクトをやっていて、スタッフがデモを実際に見てきました。あそこで起こっていたことは、倒す相手がいたという意味で、昔ながらの構造だったと思います。その後8月に、僕はイスラエルの友人のところに行ってきました。ちょうどその日に、政権を倒そうということではなく、住宅問題を始めとした社会問題に対して、市民がテントを張ってデモが起こりました。僕はその時、エジプトとは別のことが起こったのではないかなと思いました。アメリカでも今それが起こっている。そういう動きが起こらないのが日本なんですね。

こういう状態を見ているときに分かるのが、ミシェル・フーコーが「人間の終焉」と言っているように、人間という言葉を使わずに、生きている一つの単位と考え、これをどう統治するか。我々も今、この数を誰が統制的に統治できるのかというシステムのあり方への問題と、一方で分からなくても事件が起こったら路上に出ないといけない99%の問題と、二つに世界が分かれている。99%をどうするかという時に、前は今までのシステムで統治するという社会に僕は関心がありました。今国民投票といったものに興味があるのは、既存のシステムを押しのける力というのはこういうことしかないんじゃないかと思うからです。だからみんな道路に出る以外仕方ない。理屈はない。理屈があったらみんな止めるだろうけれど、なくても出ているというのがおもしろいなと思うんです。そう思うのには理由はなくて、僕の50年代60年代を何とか付き合ってきた記憶と勘でそう言っているだけなのですが。

高山 今のお話を伺っていて、計画というと、未来へのビジョンがあって、そこから計画を組み立てていかないとなかなか難しいところがあると思います。僕は今回自分のプロジェクトをやっていて、一応ひと月という時間の単位を設けていますが、今回お尻に何をするかを決めていないんです。どうなるか考えると怖くて仕方がないのですが、そうすると見えてくる途中の景色が全く違います。お尻が見えていると、途中で「あれは最後に使えるな」とか「ここは必要ないな」とか色々余計なことを考えてしまうのですが、決めていないことで、そこに単純に向き合うことができる喜びや面白さがあります。未来のビジョンがないということは、単純に路上に出てしまうように、計画に従って動いていると上手くいく/いかないという二項対立に簡単に陥ってしまうものが、単純にプロセスを楽しめるようになるのかなと自分のプロジェクトでも感じています。

磯崎 未来のビジョンがないとできないというのは、近代という時代が組み立てたものです。つまり前進するために社会が向かうべきユートピアとしてのビジョンがあって、それを示すことで皆を走らせたのが、近代だったからです。馬に人参をぶらさげて、人参というものに行き着かないで走らせたのが近代という時代だと僕は思っています。その人参がなかったらどうするかというのが、我々が近代が終わってからこの社会をどう動かしていくのかを考えるときのベースとなる。そういう意味で、僕は何とかして計画という概念は使わないようにしている。その代わり、何かやることをプロジェクトと呼んでいます。目標はなくて良いんですよ。


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撮影:蓮沼昌宏


亀裂から生まれるもの

高山 そうした時に、どういうふうに過去や記憶とどう結びついてくるのかということに興味を持っています。『孵化過程』*4のテキストの最初に「都市の変貌は巨大な亀裂から始まる」というのがありますが、今の福島の現状を見ていても、亀裂が生成の契機になるように感じます。例えば甲骨文字にしても、亀甲のひび割れから始まって、そこに天の告知/未来を読むというのがイメージとして強烈で、偶然にひび割れたものがどうやって読まれるのか。亀裂が今回の場合は福島や東北あるいは日本全土に入ったときに、モニュメントをどういう風に残すかという問題とも結びつくと思うのですが、その亀裂をどう読み、どう残して未来に繋げていくか、という回路が見つかれば面白いのではと思います。

(*4) オリジナルが1962年に制作され、1997年に再制作された磯崎氏による都市をテーマとした代表作。立体模型およびパフォーマンス作品であると同時に建築論としてテキストも発表された。

磯崎 計画をしながら物事を進めるには、計画の承認を得るための根拠が必ず付いています。理由付けがある、つまりあらゆる論理学や哲学の議論の中で、根拠がないことは科学的でないのと同じだから無効ということになっています。しかしそれがあるがゆえにそこまでしか物事が動かないという事態が過去に起こってきてしまった訳です。先ほど取り上げて頂いたのは僕の20代の頃の文章なので大して考えていなかったのですが、理屈なしで物事は進むのではないだろうかと単純に思っただけです。ふいに何かが起こって、思いがけないところで衝突する。それをやっていくから面白いことが目の前に生まれてくる。そうでなかったら何をやっても退屈です。社会や都市生活や共同体も含めて、突然の事件に揺さぶられているから事が動いていくんです。揺さぶりがなかったら面白くない。ですから例えばないところに行って何かをやる。何が起こるか誰に会うか分からないのが一番面白い。それは相手を変える訳ではなく、自分が変わるということです。

高山 僕は今回のプロジェクトを進めるにあたり、最初は自分が何かを変えるためにやっているという錯覚を一時期持ったりもしたんですが、どんどんそれがなくなって、自分が分からないから分かりたいとか、自分が変わる楽しさというのを感じています。偶然起こったことが亀裂になって、その亀裂をどういうふうに保存や記憶できるかということを今後考えていきたいと思っています。自分の領域は演劇なので演劇なりのやり方でやっていきたいと思うのですが、亀裂から文字が生成していったというのもすごく面白いと思います。

磯崎 亀甲文字は、単純に中国で亀の甲羅から文字が生まれてきたという歴史があるだけのことですが、言語というものは偶然が組み合わさってできたものだけれども、それが思考の手続きを組み立てていってくれているという点は面白いですね。

高山 そのシステムみたいなものを長いスパンではなくて、短期的にプロジェクトごとのモデルとして作っていけたら良いなと思っています。

磯崎 何かをやる時に評価を気にしてやると大したことにならないので、やぶれかぶれでやっている方が面白い気がします。

高山 最近福島にインタビューで行くようになって、先ほどマレビトの話が出ましたが、イカダの上に国会を乗せて首都を福島に持っていって出会いを作るのが素敵だなと思いました。それをどう表現するか自体を今回のプロジェクトで考えたいというのがあるのですが、今僕が口にできる言葉で言うと、今福島が危機だから福島が東京あるいは日本を必要としているように思いがちですが、ふとした瞬間に、それは逆で、福島を必要としているのは東京や日本なのではないかと思うようになりました。福島がマレビトで、それに会うための手続きをどう踏めば良いかを考えた方が今後に向けて生産的なのではないかと思うんます。

磯崎 確率論なので何とも言えないですが、30年以内に70%の確率で直下型地震が東京に起こると言われています。その時に東京がものすごいエネルギーで壊れる訳だから、色々なシミュレーションが行われているのですが、被害は今回の震災の100倍くらいと予測されています。今回帰宅難民の中で死人がでなかったのは奇跡的なことで、ある意味ストレステストをやってもらったと考えた方が良い。そうなると東京は本気で何かをやらないといけない。少なくとも東京は安泰なのではなくて、より危険な臨界状態にいるということを考えた方が良いと僕は思います。首都が移るのはそんなに難しいことではないんです。東京が首都であるべきという思い込みが我々の思考を固めてしまっているんです。一つの社会の体制が出来上がったときに、例えば近代で考えると、国民国家の首都が国民国家の見識を示していて、都市という概念で出来上がっている。ところが今、二世代くらい後の状況が社会では起こっているにもかかわらず、国民国家がかつて決めたものに我が国は則っている。首都の形態を東京が取っていない最大の理由なのではないか。世界でも上手く行っている例はあまりないですよ。国会をイカダに乗せる案は、宮崎駿さんのアニメにも出てくるラピュタのような感じで国会が日本中を訪問したら面白いと思っていて、震災があってそれを思い出したんです。

高山 今日はもう一つ時間について伺いたいと思います。「列島オペラ」の話を伺っていても、時間のスパンがものすごく長いものをある種のプロセスとしてとらえていく視点を僕も学びたいと思っています。最初のスタート地点としてあったのが「プロセス・プランニング」の議論だと思っています。プロセスを主体の暴力的介入によって一回暴力的にストップさせる。その手法について僕はすごく興味があります。今回プロジェクトを1ヶ月続けていって、まだ内容を決めていない最後のクロージング集会に何かしらの形で中断を暴力的に入れて、そこに何の形が見えてくるのかというのを見せなければいけないことになっていて、それ自体僕にとっては新しい挑戦なんです。『プロセス・プランニング論』*5で「死」「埋葬」「儀式」という言葉を磯崎さんはお使いになっていて、そこにある種の演劇的な、太古から続いている秘密があるのではないかと考えています。ヴァルター・ベンヤミンがヘルダーリンの中間休止について、中間休止した時に何が現れるか、それは演劇的なものだ、と言っています。あるプロセスが暴力的なものによって中断された時に現れ出てくるイメージに興味があって、それについてお話を聞かせて頂けたらと思います。

磯崎 近代は時間がずっと昔から未来に至るまで所謂ニュートン的な絶対時間があって、一定のリズムで流れているものと学んできたし、そういった感覚を持ってきました。それ自体が近代という社会が組み立てた概念で、歴史的にそういうものではないということが段々言われてきました。僕は以前ディズニーランドの仕事をやったことがあって、その時に「時間」をテーマにしました。今でも僕のデザインした『チーム・ディズニー・ビルディング』*6という建物には世界最大の日時計が入っています。その時に、世界のあらゆる人が時間について言った言葉を集めました。その中に、アインシュタインが言った、時間というのは時計が刻んだものであって、宇宙や自然が決めたものではない、というのがあります。みんなが時計を持っている訳だから、生きている各人がそれぞれに時間を持っていると考えた方が明快ではないかということです。言い換えると、時間というのはその中に流されるものではなく、作り出すことができるものかもしれない。時間は過去から現在、そして未来へ流れているように思うけれども、確実に分かるのは今だけです。時間は後にも先にも延ばす必要はない。時間はむこうからやってくるんです。禅の僧侶であった道元が『正法眼蔵』*7の「有時」の巻で次のように書いています。時は飛来するもの、それがゆえに時というものは存在する、と。

(*5)磯崎新『プロセス・プランニング論』鹿島出版会、1997年(『空間へ―根源へと遡行する思考』所収)
(*6)磯崎氏設計によるフロリダにあるディズニー本社ビル。
(*7)曹洞宗の開祖である道元の全95巻に渡る思想書。

高山 僕が演劇を始めようと思って未だに追いかけている現象があります。ある時期パリにいて、幻想や幻聴を抱えて時間の感覚が分からなくなることが自分でも分かるくらい危険な状態でした。そんな中で、ある瞬間に、好奇心でホテルの窓を開いたら、そこに時間がやってきたというと変な言い方ですが、窓枠や壁、窓から見える隣の建物の八角形の屋根が目に飛び込んできて、極端に言うと、空気があることにすら感動してしまいました。それまで惑わされていた妄想みたいなものが一気に吹き飛んで、目の前にあるものや時間の方がよっぽど重要だということに気づいたんです。その体験をもう一度自分なりに取り戻す作業をしたいと思って未だに演劇をやっています。そのように、ある中断が入った時に、これだけ世界は変わってしまうんだと。体がここにあるということがよく分かった瞬間でした。

磯崎 簡単に言えば、僕が『プロセス・プランニング論』を書いたのは50年近く前の昔の話ですが、そのときに思っていたのは、目標の最後の姿をみんな見せようとするのですが、それを見てはいけない。過去もどんどん消えていくけれど、過去から来るものは、今につながっているものがある。けれど、未来を語っても仕方ない。この流れていく今の瞬間のプロセスにあるものを切断する、その代わり、自分の中、社会の中、プロジェクトという形の中に取り込んで定着させる。演劇で言えばシナリオが出来たときの感覚と近いのかもしれませんが、そういう瞬間を探すのは我々の仕事の中では決定的なモーメントだと思います。

高山 僕は演出家として、観客の体験あるいは時間をふとストップさせるようなものを作れたら良いなと考えています。観客としての身体にすごく興味があって、何かを作るのではなく、自分がそういう体験ができるかどうか、あるいはお客さんがちょっとした中断や切断を体験してもらえるかどうかというところで勝負をしていきたいと思っています。

磯崎 寺山修司には不思議な癖があったんですが、ストーカーが趣味なんです。それより前は訪問演劇をやっていて、演劇を街頭に出すことをしていました。突然玄関を開けて芝居を持ち込んだり、決まった場所での固定された舞台と観客の関係ではなく、都市そのものの中に演劇をばらまくということをやったりしていました。都市には無数の時間が流れていて、無数の関係性があり、いろんな種類の事件が仕方なしに発生する。我々の世代が都市の中で演劇的なもの、不確定な状況を組み立てながらやっていった例と言えるのではないかと思います。僕は今は演劇はもっと拡張しても構わないと思うし、メディアの中に入るかどうかは別問題として、実際に身体が動く範囲の中での問題として皆さん感じているのではないでしょうか。自分の身体を持った役者が街頭に出て行って日常を送っている人と衝突する。あの時代と今やっていることはどういう違いがあるのでしょうか。

高山 僕は寺山さんをものすごく尊敬していますし色々と勉強させてもらいましたが、今の時代にはある意味強すぎると思っています。劇場の中では舞台と客席があって見る側と見られる側の決まった図式があって、お客さんは受容してそこにいる。その前提はそれで成り立つと思うんですが、今劇場の外で強度がある役者さんが出てきてハプニングを起こしても、それが強すぎるとお客さんが距離を取って、そうでないにもかかわらず劇場にいるのと変わらない構図になってしまう。小泉政権の時の郵政民営化の選挙が「劇場型選挙」と呼ばれましたが、そう考えた時にみんなが思い浮かべる劇場は、舞台と客席の関係性から言って、プロセニアムの舞台だと思ったんです。僕が良いなと思うのは、ギリシャ時代の劇場のように客席も含めて舞台になっている感覚です。それに近づけるために、お客さんの身体を主人公にしたいと考えているんです。舞台に強いものを設置するよりは、むしろ小さいものをお客さん自身に見出してもらうようなプラットフォームや環境をつくる方が有効なのではないかと考えています。

磯崎 プロセニアムで言うと、19世紀に一番これを意識し、理解していたのはワグナーでしょう。彼は舞台と客席とを分けて、舞台を商品としてきちんと見せて売るためのものとして完成させました。最初にお見せしたARKNOVAはコンサートホールですが、マルチフォームという形を取っていて、演奏者が6ヶ所に分かれて、観客はその間に紛れて歩く。観客と映像が入り乱れ、舞台と観客の関係を壊していく。劇場の仕切りを取っ払えば、どこでも演劇が成立するという言い方はできなくもない。でもそれは僕の頭の中の空想の話で、やるのはあなた方ですが。


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